第1章 "Riot Grrrl"ムーブメントの生まれた背景
第1節 男性中心のパンクロック
井上貴子氏はロックのジェンダー化された側面について次のように述べる。
「ロック、とりわけハード・ロック/ヘヴィ・メタル系の
ロックは、基本的にマッチョな不良あるいはアウトローの
音楽である。(中略)
ロックにおける女性嫌悪の傾向については、90年代以降、
英米の女性研究者によって繰り返し指摘されるようになっ
た。また、多くの女性ロック・ミュージシャンが、ロック・
ビジネスにおける女性排除や、社会的な性差別との葛藤に
ついて言及している。」1)
ロックとジェンダーの関係2)、ロックと男性性の強い結びつきは、男女問わず多
くの研究者が有する共通認識である。3)
では、実際にパンクロック・シーンで、どんなことが起こっていた・起こっている
のか具体的に例を挙げて、その状況をみていくことにする。
まず、主に発信する側・ミュージシャンについてだが、「英米におけるロックする女たちの系譜」(60年代後半からメジャー・シーンに現れたもの)や「パフォーマンスにおける女性性の表現」の多様化については、以下補足しておく。
歴史的に鳥瞰すると、もちろんロックに女性が登場する以前からミュージック・シーンに女性は存在していた。ポップやロックのいわゆるミュージック・シーンは50年代中頃からあったにもかかわらず、女性だけのポップ・グループが初めてU.S.チャートのトップになったのは60年代中頃のシャイアルズ4)であった。以降、多くの女性バンドが出てくるが、曲作りは男性によるもので、彼女達は恋愛の対象として描かれるだけの他の何者でもなく、慣習的な性役割・女らしさが続いた。5)
60年代後半になって、ジョニ・ミッチェル6)、ジャニス・ジョップリン7)といった自分達自身の音楽をやる女性達が現れるが、彼女達に自由は殆ど無く、初期の女性バンド同様、市場に取り込まれてしまう。例えば、ジョニ・ミッチェルの68年のアルバム"Songs to a Seagull"の宣伝文句は"Joni Mitchell: 99% Virgin"(ジョニ・ミッチェル:99%ヴァージン)であった。この宣伝文句の決定権は彼女には全く無かった。彼女はレーベルに対して怒りを覚え、同じレーベルに所属していた女性アーティストらと共に、「Geffen(レーベル)は私達をアーティストとして成長させる気はない」と感じ、そしてレーベルの言う通りに従わないと、レーベル側は彼女らを見捨て、さらに彼女らにとって不利な契約を取り付けるのだ。8)
70年代に入っても、このような性的搾取市場システムは続き、パンク・バンドも例
外ではなかった。ブロンディ9)のデボラ・ハリー10)もジョニ・ミッチェルと似た
経験を持つ。レーベル側は正直にこう言った。「君は、君の音楽と君自身の両方を売
らなくちゃいけないんだよ、大金を稼ぎ続けるためには。」11)
こうしたレーベル側の姿勢は、音楽産業が拡大し競争が激しくなればなるほど、よ
り強固なものへとなってゆく。特に商業企業であるメジャー・レーベルでは現在でも
言うまでもない。
商業主義に染まったロックに飽き足りないアメリカの学生達が関心を寄せ“もうひ
とつのロック”として1980年代からオルタナティブと呼ばれるようになったシーンがあった。その代表的なバンド、ニルバーナ12)の成功以降、大手メジャー・レーベルは第2のニルバーナを得るべくインディー・バンドに次々と契約を申し込んだり、あるいはインディー・レーベルそのものを自分達の会社の傘下に入れるといった動きがみられた。13)
メジャー・レーベルにとってバンドやミュージシャンは単なる商品でしかない。売
れなければ、その商品-つまりバントやミュージシャンとの契約は、条件が悪化するか打ち切られるかになる。商業企業として成り立たなくなってしまうからである。従ってメジャー・レーベルでは、金銭的な利益のためにはあらゆる手段を使うとも考えられる。つまり性的搾取もその手段の1つに挙げられるだろう。
一方、パンクロック・シーンの中で、多くの女の子が実際に直面する問題とは一体
どんなものなのだろうか。
パンク、ハードコア14)といったバンドのライブで慣習的に行われていたのがモッ
シュである。モッシュとは簡単に言うと、激しく狂乱して暴れまくることである。ラ
イブ中、ステージ前方の密集したところで、他人とぶつかり合ったり、殴り合ったり、サーフ(人を持ち上げ、皆の腕を使ってその体を支え、波に流されるように頭上で人間が流されること)やダイブ(ステージの上など、ちょっと高い場所から密集した人ごみの中に飛び込むこと)をするのが慣例となったいた。90年代初期にはメイン・ストリームにまで広がり、大きな会場でもモッシュが見受けられるようになった。コートニー・ラヴ15)がおもしろがってダイブしたところ、洋服を剥ぎ取られ結局彼女は下着なしでステージに戻ってきたということもあった。
モッシュでは、汗まみれの乱闘、鼻血、捻挫などは日常的なことである。サンフランシスコにはそのようなモッシュ病専門のロック・メディシン・プログラムを持つ無料のクリニックがあるほどだ。
しかし94年に、ロンドンで21歳の青年がステージからダイブし頭部を怪我して死亡、ニューヨークでも17歳の高校生がライブ中に死亡。同じ年、あちこちのライブで死亡者が続出。その後も犠牲者は後を絶たなかった。
そんな中、観客に向かって、モッシュを止めるよう注意を呼び掛けるバンド16)も
いくつかあったが、それら全てが完全に止めさせることは出来なかった。17)
女の子の場合、男の子同様、危険に晒されるのももちろんだが、体を性的に触られ
ることも頻繁である。さらに服を脱がされたりレイプされるといったこともある。激
しく熱狂した男達にとって、それはステージの前方に限らず、どこでもいいのだ。
事実、フェスティバルでのレイプも報告されている。「愛と平和」を掲げたロック
コンサート、ウッドストックでの暴力事件やレイプ事件をはじめ18)、ライブやフェ
スティバルで女性が暴力やレイプに遭うことは現実に多発している。19)
女の子達はいくら音楽が好きでも、そういった危険な目に遭いたくないがためにラ
イブへ行くことを断念しなくてはならなかったり、あるいは危険を覚悟したところで
親は自分の娘に対して簡単に承諾するはずもなかった。20)こうして女の子にとって、さらにライブに行きにくい状況になってくると、ライブは男達に占領されるようになり、同時にマッチョ・カルチャーが助長されることになる。
つまり、激しい音楽である「パンクロック」「ハードコア」と「男性性」「マッチョ」という関係性がより強化されることで、結果的に「パンクロックやハードコアは男のもの、男の音楽」という風潮に拍車をかけることになるのだ。言い換えれば、「パンクロック、ハードコアは女の聴く/やる音楽ではない」「女は引っ込んでろ」等々、シーンにおける性差別的な傾向は強まる一方となるのである。
このように暴力やレイプの横行をはじめ女性を排除しようとするシーンの状況は、
現在でも無くなってはいない。シーンにおけるこうした性差別をキャスリーン・ハナ
は一部で次のようにも捉えている。
「(略)フェミニズムと女性嫌悪の大きなコンテクストで
いうと、ロック・ショーにおける性差別は、私達を家の中
に閉じ込めておくことを意味するまさに別の方法である。
それは公的な空間が男性のものであることの維持のためで
あることを意味し、私達が恐怖感を抱くことの維持のため
であることを意味する(略)」21)
つまり「男は外、女は内」という構造を維持するものの1つに、ロック・ショーで
の性差別も含まれるということである。女の子達は「外」つまり「ロック・ショー」
に行きたくても、そこで起こる性差別-つまり暴力やレイプ、女性嫌悪といった態度
などの「恐怖感」によって、「内」つまり「家の中」へと追いやられてしまうのだ。
第2節 フラストレーションの爆弾を抱えた女の子達
前節でパンクロック・シーンにおける性差別の激しさを理解したこととして、本節
では、日常生活も含め彼女達の置かれていた当時の状況全体に対して女の子はどのよ
うに感じていたのかを明らかにするものである。
結果から言うと、女の子が日々感じていた不満、苦痛、悲痛そして怒りなどのフラストレーションを解き放ち外に向けて発信することで、さらに多くの女の子達とそれらを共有し、理解し合うといった過程の中で彼女達は"Riot Grrrl"と呼ばれ、ムーブメントになっていった。
彼女達のレコード、ライブ同様あるいはそれ以上に、この過程において重要な役割
を果たしたのがファンジンである。
簡単に日本語で言えば、同人誌、ミニコミ誌を指す。
ファンジン/ジンの歴史は印刷技術が開発された17世紀からとする説22)もあるが、自費出版の現在の文化的形態の主な歴史は、一般的に1930年代初期、S.F.ファンから始まったといわれている。23)
「ジンとは、アマチュアがハンドメイドで作った出版物。作ることへの強い情熱を
動機とするが、利益が出ることは稀」24)である。
ファンジン/ジンは、自費出版なので誰からも検閲されることなく自由な表現が可
能25)である。また、どこからでも入手しやすく26)、作るのにも買うのにも安いファンジンは彼女達のわめき声、個人的体験、思想、ユーモアなどを伝える手段として最良のメディアであった。27)また、"Riot Grrrl"達の作るファンジンでは、一般的にタブー視されていてあまり他人に打ち明けられないような近親相姦やレイプなどを含む極端に個人的な事柄もしばしば探究する。28)
ではここで"Riot Grrrl"ムーブメントにおいて不可欠であったファンジンの1つBikini Killの中から"Riot Grrrl Is..."というマニフェストを長くなるが引用する。この文章では、社会から押し付けられた「女の子」像に対する怒り、他人や社会の基準や伝統に対する反発などをはじめ、女の子達が日常生活の中で感じていた様々なフラストレーションを読み取ることができる。彼女達は、彼女達自身による彼女達自身の文化を創造することを欲しているのである。
「なぜなら 私たち女の子は、私たちと語ることのでき
る・私たちがそこに含まれていると感じられる・私たち自
身の方法で理解できる、レコード・本・ファンジンを切望
する。
なぜなら 戦略方法や批判・賞賛することをお互いにシ
ェアできるために、女の子たちがお互いの作品を見たり聴
いたりするのを簡単にできるようにしたい。
なぜなら 過去の女たちの財産を引き継いだ上で、私た
ちは私たち自身の悲痛なうめき声を創造しなくてはならな
い。
なぜなら どのようにして強い衝撃を与え、反響し、永
続していくのか、あるいは現状をどう崩壊させるのかを見
い出したいのならば、私たちの「ガールフレンドたち-政治
-現実の生活」を結び付いたものとして我々の作品をみるこ
とは非常に重要なことである。
なぜなら マッチョ・ファンタジーの意味するものは、
私たちの夢を叶える代わりに、私たちを単に夢想させてお
くための実際的ではないでたらめとして私たちは認識して
いる。だから、キリスト教資本主義者のやり方・たわごと
の代わりになり得る新たな方法を心に描き、創造すること
で、私たち各々の日常において革命を起こすのだ。
なぜなら 私たち皆各々の持つ不安な物事、私たちに向か
って楽器を演奏するのは無理だと言う飲んだくれ少年ロ
ック、私たちのバンド/ジン/その他はアメリカで最低だ
と言う「権力者たち」をものともせずに、私たちは励まし、
励まされることを望んでいるし、必要としている。
なぜなら 何が良くて何が良くないのかという、他の誰
か(男の子)の基準に私たちは同化したくない。
なぜなら 私たちのことを反動的な「逆性差別主義者」
であって、真のパンクロック精神を持った改革運動者
ではないという主張のもとにひるみたくない。自分たち
が本当に真のパンクロック精神を持った改革運動者である
ことを私たちは知っている。
なぜなら 人生は身体的生き残りをもっと越えているこ
とを知っているし、私たちのものでなく彼女達自身の表現
に従って、どこにでもいる女の子や女性たちの身体的・文
化的生活を救おうという怒れる女の子ロック革命が起きる
ためには、パンクロックの「あなたは何でもできる」とい
う考えは極めて重要だということに私たちはしっかり気付
いている。
なぜなら 私たちは、継承された手本ではないものを創
造することに関心がある。そして競争や良い/悪いのカテ
ゴリー化ではなく、音楽・友達・コミュニケーション・理
解に基づいたシーンを作ることに興味がある。
なぜなら 自分のことを認識し自分自身に挑戦するとい
うクールなことをやる/読む/みる/聴くことは、私たち
にとって強さやコミュニティのセンスを得る助けになる。
それは私たちにとって、以下のことを理解するために必要
なことなのだ:民族差別、健全な身体主義、年齢差別、人
種差別、階級差別、体型差別、性差別、ユダヤ人差別、異
性愛主義などのたわごとが私たちの生活において、どのよ
うに表象として現れているのか。
なぜなら 女の子のシーン、あらゆる女の子アーティス
トたちを促進しサポートすることは、このプロセスにとっ
て不可欠なものであると私たちは考える。
なぜなら 私たちはその全ての形態において資本主義を
憎んでいる。伝統的な基準に従い大人しくすることで利益
を得る代わりに、私たちは情報をシェアし、活き活きとし
ていられることを主なゴールとして考えている。
なぜなら 女の子=物の言えない、女の子=悪い、女の子
=弱い、と私たちに言い聞かせる社会に対して、私たちは怒
っている。
なぜなら 女の子の妬み主義や自滅的な女の子らしい振
る舞いを示すものとしての性差別を私たちが内面化してし
まうことで、私たちの持っている本当のそして確かな怒り
を、まき散らされたくないし私たちに対して返されたくない。
なぜなら 革命的な精神的強さ、それは世界を真実へと
かえる、それができる強さを女の子たちが構成するという
ことを、わたしは全身全霊心の底から信じている」29)
このような怒りをはじめとする様々なフラストレーションを抱えていた女の子達は、次第にその怒りをエネルギーへと変えていく。次章でさらに詳しくこのムーブメントが形成されてゆく様子を追っていくことにする。